市制施行110周年 横須賀の今昔を聞く

1907(明治40)年に横須賀市が誕生して110年。
1959(昭和34)年に当時珍しい共同ビル三笠ビル商店街が完成した。

1969(昭和44)年横須賀新港整備計画により小川港埋め立て事業が始まった。
埋立地に住宅やマンションが建てられ、大型店舗も出店。
新港埠頭が整備され、平成24年から27年に裁判所、救急医療センター、警察署が順次移転。
約50年をかけて段階的に変化を遂げた。
記憶に残る昭和30年代の小川港
三笠公園
昔三笠公園

水辺の歴史を感じる現在の三笠公園通り

横須賀市提供の絵はがき。現在の三笠公園前〜さいか屋の駐車場の公園通り。
遠くに見える橋は整備される前にかかっていた三笠橋
小佐野圭三さん
記憶に残る昭和中頃の下町について語ってくれたのは、大滝町在住の小佐野圭三さん(73)。
昭和44年まで三笠公園の前は小川港で、三笠幼稚園辺りまで入り江でした。現在の神奈川歯科大(当時は清泉女学院の前辺りから16号線方向に三笠橋が架かっていました。 昭和3年に三笠橋ができたとき、東郷平八郎元帥が先頭に立って橋を渡ったそうです。小川港からは千葉県木更津や金谷行きの船が出ていました。東京からも荷物が船で小川港に着き、近辺には運送業者の倉庫もありました。当時の横須賀新港整備計画によって小川港は埋め立てられ、橋もなくなり、今の三笠公園通りができました。
目の前は海だった! 安浦町の三上医院
三上医院
昔三上医院
現在の様子。三上医院の建物は変わらず、左にカーブする道の
向こうは今は高層マンションが立ち並ぶ
昭和59年の三上医院周辺
(出口常智氏の作)

三上さん
父親の代から続く安浦町の三上医院の二代目、三上剛志さん(72)。
昭和44年まで三笠公園の前は小川港で、三笠幼稚園辺りまで入り江でした。現在の神奈川歯科大(当時は清泉女学院の前辺りから16号線方向に三笠橋が架かっていました。当時を物語る1枚の絵を拝見すると、医院前の道の向こうは安浦港。「通称“重箱”で防波堤は“カマボコ”と呼ばれ、よく釣りをして遊びました
もともと大正時代に埋め立てられてできた安浦町は、当時は16号線がメインストリートで、両側に賑やかに商店街が並んでいた。昭和59年に埋め立てが始まり、平成4年に完成。海は遠ざかり、海沿いに国道が通り、大型商業施設もできた。平成町と名付けられた地域には高層マンションが多く立ち並んだ。
生まれた町が変わることに抵抗はありましたが、高齢化し、商店も衰退しつつあった安浦町に若い家族が移り住み、大学もでき、若者が歩く風景は町を活気づけてくれます
ヨコスカのジャズを盛り上げる活動もしている。

 1907(明治40)年に横須賀市が誕生して110年。

◆ 1959(昭和34)年に当時珍しい共同ビル三笠ビル商店街が完成した。

 1969(昭和44)年横須賀新港整備計画により小川港埋め立て事業が始まった。
埋立地に住宅やマンションが建てられ、大型店舗も出店。新港埠頭が整備され、平成24年から27年に裁判所、救急医療センター、警察署が順次移転。約50年をかけて段階的に変化を遂げた。