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2023.11.24

横浜村から世界のMOTOMACHIへ開港から共に歩む150年(2023年11月24日号中区・西区版)

横浜村から世界のMOTOMACHIへ開港から共に歩む150年(2023年11月24日号中区・西区版)

 約160年前 横浜港が開港され、当時は珍しかった西洋花を扱う生花店として創業した宮崎生花店。その歴史は古く、今年で150周年を迎えた。華やかだった開港当時と、外国人居留地の無くなった現在、そして今後の展望を、5代目店主宮崎寛己さんにうかがった。

欧米人が持ち込んだ「花を購入する文化」

  横浜開港から160年余り経過し、現在に至るまで、その歴史をつぶさに見つめ続けてきた横浜・元町。かつては横浜村と呼ばれ農漁村だったが、現代では世界にその名が広く知られるようになった。そこに、激動の軌跡を証明する宮崎生花店がある。外国人居留地だった山手の丘と元町通りを結ぶ代官坂の途中に店を構えたのは1873年(明治6年)。その150年の営みは、横浜開港から現在に至るまでの激動の歴史を物語っている。

 5代目店主の宮崎寛己さんにお話しを伺った。「3代目が、私が幼い頃に亡くなったので、詳しいことは定かではありませんが、開港当初は、ユリや菊を船で輸出し、西洋花であるバラやカーネーションを輸入していたようです。古い写真に、カーネーションらしき花が写っているものがありました。山手地区に西洋人が多く住んでいたころは、ダンスホールや米軍基地、船、教会へ花を収めることが多かったようです。パーティーや結婚式も多かったと聞いています。日本の花文化としては、庭に咲いている花を飾るのが一般的で、花を購入する、という文化、西洋花の文化が根付いたのは戦後だと思います」。

花のある暮らしを一般的なものに

  戦後、ドイツやアメリカなどから来ていた西洋人が減り、替わりに韓国や中国などから来たアジア人が増えたと宮崎さんは語る。宮崎生花店がある代官坂も、小さな店が残ってはいるが、昔と比べると商店が減ったという。「〝宮崎生花店の花はいいよ〟という口コミでお客様が集まってくださっていたので、お客様とのつながりを大事に、生花いっぽんでやってきました。今は鉢ものも扱っていますが、ブーケを作るときは、お客様のイメージを形にして差し上げる。好きな色は? どういう思いで贈るのかな?

 相手はどんな感じの人なのかな? いろいろと想像して作ります」。  また、子どもの頃は玄関やトイレなど、家の中に当たり前のように花があったが、今はギフトやお祝い事でしか花を購入しないことも危惧している。「自分のために、家族のために花を買っていく。人の、花に対する意識を身近なものに、デイリーユースにしていきたい。そのためにも、次世代の子どもたちとのつながりを大事にしています。花のある光景がその子の記憶を作りますからね。この生花店の立地を活かして、地域の拠点にしたいとも思っています。人と人が繋がっていく。そんな関係を作りたいですね。そのために、子どもたちを巻き込んだ、ワークショップやコンサートなどのイベントを、不定期ですが、年間を通して開催しています」。

【お問い合わせ】
045-681-8701